夢
 何の音も聞こえることのない完全な闇の中で、キッドは眠りから覚めた。次の瞬間には何かにびっくりしたように一気に身体を起こした。
……はッ!
 キッドは目を大きく見開いている。条件反射のよう周りの状況を確認した。右を振り向くと少し大きめの扉が見える、その隣には特に目立つ特徴のないどこにでもあるようなタンス、あとは現在キッドの眠っていたベッド、ベッドのすぐ横にある壁にはキッドの上着がハンガーに掛けられていた。今いる部屋はお世辞にも綺麗な部屋とは言いがたかった。
……そうだ、昨日オレはトルースの宿に泊まったんだった。
 普段はお金がもったいないからとほとんど外で夜を明かすキッドである。今現在季節は夏だ。夜でも暑さが引くことはなく外で眠ったほうがキッドには逆にちょうど良かった。しかし昨晩に限っては違った。トルースの町で有名だったあくどいと評判の成金の住む屋敷からキッドの生きがいともいえる大好きな宝石を難なく盗みだしたのだ。その宝石は今もキッドの枕もとにちょこんと置かれている。改めて眺めても惚れ惚れしそうな拳大の大きさの宝石は今もエメラルドに輝いている。昨夜大仕事を成し遂げたキッドは有頂天となり今泊まっている宿の近くにあるパブで飲めない酒を飲んだのだ。当然今まで素面だったキッドが酔いつぶれないハズがなかった。ほんの一杯飲んだだけで顔に赤みがかかりそのままのテーブルの上に上半身をのたれかかった。ほんの十分もしないうちにパブを経営しているマスターの妻と思われる女性からこう言われた。
「お嬢ちゃん、大丈夫?あらあらこんなに赤くなっちゃって、何があったか知らないけれど若いくせにお酒なんか飲むからよ。」
 そのときの女性の言うことははっきり覚えている。女の自分から見ても十分伝わってくる魅力と本気で心配していたようでやさしい声で話掛けられたからだ。ただその瞳には同情の色も見受けられた。どうもキッドが酒を飲んだ理由を誤解しているようだ。彼氏にふられたとでも思っているのだろうか?
「とにかくもう休んだほうがいいわね…でも困ったわ…ウチには泊めてあげられるようなスペースないし…。」
 キッドは心ここにあらずといった表情で聞いていた。うっかりしてるとこのままテーブルの上で寝てしまいそうである。
「かと言ってこんな若い娘さん放っとくわけにもいかないわね…」
女性はしばらく黙っていたが意を決した表情で口を開いた。
「しょうがない!お嬢ちゃん、ここのすぐ隣に宿屋があるの。そこに泊まっていくといいわ。代金はこっちで立て替えといてあげるから。いちばん安い部屋にするから快適さは保障できないけど…ガマンできる?」
 キッドはもちろん!というふうに首を縦にふった。いつも外で夜を明かすキッドにとって部屋が汚いことなど問題なかった。酔っていて言葉では言えなかったがキッドは宿代を立て替えてくれた女性に対し感謝していた。強引に眠りを要求する身体に対しキッドは動くことができなかった。そこから先は思いだすことができない。最後に脳裏に浮かぶのは上着を脱がせ、キッドの手に握られていたエメラルドの宝石を枕もとに置いてやり、せっせと寝支度を整える女性の姿。スゥゥ…と可愛い寝息をたてるキッドに女性が言ったことを聞き逃さなかった。
「お休みなさいね。この綺麗な宝石はあなたの横に置いとくわ。ふふ…」
……おやすみ。
 キッドは幼い子供のころの日々に戻ったような錯覚を覚えた。あの楽しかった日々を思うだけで深い眠りに入るのにそう時間はかからなかった。
 そこまで思い出したキッドはなぜか腑に落ちない点があることに気づく。いったん眠りに入った自分がそう滅多に目を覚ますことはないと思ったからだ、それもこんな夜中に。それはいままで生きてきて十分理解している。
……暑さにもだえたからか?いや違う。アルコールの手伝いだってあるんだ。…なんだ?何か忘れている…。
 試行錯誤を繰り返すキッドの頭に一つの記憶が浮かび上がってきた。自分が何かにびっくりして飛び起きた理由。やはり暑くて目が覚めたわけではなかったのだ。
……そうだ。思い出した。あの「夢」だ。
 キッドの頭にはそれ以外浮かんでこなかった。先ほどの眠りで見ていた「夢」以外は。いつもならこんなこと考えもしない。例え現実感の強い夢でも目覚めてしまえばなんだ夢か、とあしらっている。
……妙な夢だったな。
 いや、それを「夢」ととらえるべきかでさえキッドは困惑していた。うまく形容することができないが何かが違うのだ。途方もなく長くそれでいて強いリアリティを持っていたのだ。もう一つの世界と受け取ってもいいかもしれない、目を閉じてゆっくりと思い出してみる。それはある小さな島々の点在する場所でのことだった。


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