憧れるは、強さ
 丈の短い青々とした草が、濃い潮の香りを帯びた風を受けて、さらさらと優しい音を立ててなびいた。
 エルニド本島の中心都市であるテルミナと、島のちょうど真ん中に横たわる山脈を切り裂く溺れ谷。その間をつなぐ街道が見下ろせる、小高い丘の上がここだ。
 少し視線を巡らせれば、美しいエルニド・ブルーの海と、彼方に浮かぶ大小の島々が、太古の昔から変わらない表情で微笑みかける。その上を満たす空の青は、海のそれとはまた少し違った趣を見せて、両者を分かつ水平線を、より一層複雑で、美しいものにしている。
 ふり返ると、あふれんばかりの緑と、強烈な赤のコントラストが目に飛び込んでくる。緑はこの島を埋め尽くす熱帯の森の色。そして赤は、島の東にそびえる巨大な活火山、死炎山の山頂付近を染める、冷えて固まった溶岩の色だ。
 美しいエルニドの自然を一望できるこの丘は、旅人たちが疲れた体を休めるのにぴったりの場所であった。

 その丘に今、金属を激しく打ち合わせる音と、気迫に満ちた気合いの声とが、休みなく響いている。
 戦いが、行われているのだ。
「てえぃ!……くそっ!」
「はん。そんな見え見えのフェイントに引っかかるもんかよ!」
 戦っているのは、額に赤いバンダナを巻いた、年の頃17か18と思われる少年。そして彼より少し年下に見える、鮮やかな赤のブラウスとスカートが印象的な、金髪のおさげの少女の二人だ。
 少年の名前はセルジュ。少女の名前はキッドと言う。
 ちょうど中天に差しかかった太陽から降り注ぐ光が、二人が手にする武器の磨き上げられた刃に、刺すように鋭い輝きを与える。
 セルジュが振るっているのは、ボートのオールを改良して作られた、スワローと呼ばれる武器。長い柄の両端に付けられた刃が描く軌跡が、軽やかに舞うツバメを連想させるために、与えられた名前だ。アックス並みの威力と、スタッフのような安定性を持つスワローは、熟練者が振るえば変幻自在の攻撃を繰り出すことができる、恐るべき武器となる。しかし……今セルジュがスワローを振るう動作はどこかぎこちない。大きすぎる武器を持て余しているのか、自分が振るうべき武器に、逆に振り回されている様な格好だ。
 対するキッドの持つ武器は、刃の部分がかなり広めに作られた、片刃のダガー。微妙な湾曲と、繊細な刃紋が美しい。武器自体の重量がほとんど無いダガーは、自らの体重をかけて急所に打ち込むことで、不足しがちな威力を補う必要がある。またどうしてもリーチで劣るため、相手のふところに飛び込むまでが一苦労だ。ゆえに正面きっての戦いには使われず、予備の武器としてか、女性が護身用に使うのがせいぜいだ。……いや、もう一つ。その小ささから、ダガーは盗賊たちに好んで使われる。ふところに飛び込むまでが大変なダガーだが、一旦飛び込んでしまえば最強の武器となる。影にひそみ、不意を打つことを得意とする盗賊たちには、ダガーは最適な武器なのだ。ともかくキッドはダガーの扱いに精通しているらしい。逆手に握ったダガーで、スワローの重い攻撃を、軽く受け流している。
 汗を振り撒きながら、セルジュが必死にスワローを振るい、薄笑いを浮かべたキッドがそれをあしらう。そんなやりとりが、ずっと続いている。誰の目にも、二人の技量の差は明らかであった。

 しかし、そもそもなぜ二人は戦っているのだろう?その答えは、今朝の溺れ谷での一件に見つかる。
 セルジュとキッドの二人は、テルミナへ向かう途中に通った溺れ谷で、巨大なニワトリのような怪物に襲われた。もともとはその怪物が温めていた、大きな卵を奪おうとしたキッドに問題があるのだが、気づかれてしまった以上、戦うしかない。その戦いが始まってすぐ、セルジュは巨大なクチバシで突つかれて、気絶してしまったのだ。おかげでキッドは一人で怪物と戦う羽目になった。もちろんニワトリごときに遅れを取るキッドではなく、軽快なステップと鋭い攻撃で翻弄し、たちまち追い払ってしまったのだが……。
「おい、セルジュ!あんなニワトリ程度にやられてどうすんだよ!」
 谷川の冷たい水をかけられて目を覚ましたセルジュは、非常に不機嫌な様子のキッドにたじろいだ。両手を腰に当てて、ずいと顔をセルジュに近づけるキッド。
「ご、ごめん……」
「ごめんで済むか。この先もあんな調子で足引っ張られたんじゃ、たまったもんじゃねーや」
「……」
 そしてキッドは、申し訳なさそうにうつむくセルジュの鼻先に指を突きつけて、こう言い放った。
「特訓だ!!!」

「オレ様に一発でも当てれば、合格にしてやるよ。遠慮なんざしなくていいから、思いっきり打って来い!」
 キッドはそう言ったものの、セルジュには本気で打ち込む度胸などなかった。
「一発でも当てればって……本当に当たったらどうするのさ!?」
「ばーか。腰砕けのお前の攻撃なんざ、オレが食らうわけねーだろ」
 さすがにムッとするセルジュ。
「それじゃあ本気で行くからね!当たっても知らないよ!」
 そうして特訓は始まった。とは言え、口では本気で行くと言ったセルジュが、実際に繰り出すのは甘い攻撃ばかり。そんなセルジュに、キッドは渇を入れる。
「バカにしてんのか、セルジュ!?もっと気合い入れろ!」
「わ、分かってるよ!」
 特訓は、長いものとなった。

 じりじりと、太陽が動いていく。最近日照り続きのエルニドは、今日の日も例外としなかった。射るような日差しが、二人の肌を焼き、汗を吹き出させる。
 あまりに簡単に彼の攻撃をかわしてしまうキッドに、セルジュは次第に本気でスワローを振るうようになっていった。
(……当たったらどうするのさ!?)
 そのセルジュの思いは、太陽が中天に差しかかる頃には、正反対のものになっていた。
(……どうして当たらないんだ!?)
 セルジュはもはや、手加減などしていなかった。なんとかして攻撃を当てようと、やっきになっている。彼には合点がいかなかった。武器の相性では明らかに勝っているのに。本気で戦っているのに。それなのに、彼が何度スワローを振るっても、キッドはなんなくかわすか、受け流してしまう。
(どうしてだ!?)
 その時、キッドが笑って言った。
「へへっ。お前も、なかなかいいツラができるんじゃねーか!よし、特訓はここまでだ」
 そう言ってダガーを下ろすキッド。だがこの時のセルジュの精神は、到底冷静と呼べる状態にはなかった。攻撃を当てようと必死になっていた彼の目には、キッドの行動は大きなスキとしてしか映らなかった。セルジュは渾身の力を込めて、スワローを真横に振るった。今までで一番鋭い一撃を、キッドのがら空きの胸に向かって。
(……!)
 瞬間、キッドの目が、キッと細められた。左ひざを折って、唸りを上げて迫るスワローの刃を、紙一重でかわす。素早い動きについて来れなかったおさげの先端の数センチが、切り裂かれて宙を舞う。そのまま、左足を軸に瞬時に体を時計回りに回転。水平に伸ばした右足で、セルジュの両足を払った。たまらず倒れるセルジュ。キッドはその上に馬乗りになり、ダガーをセルジュの首に押し付けた。そしてセルジュの目の焦点が合ったのを確かめると、ニッと笑って言った。
「特訓は、ここまでだ。……昼メシにしようぜ?」
 切り飛ばされた髪の毛が、陽光を受けてきらきらと美しく舞い踊った。

「ごめん、キッド!本当に……あの時は僕、どうかしてたんだ。ごめん!」
「だからもういいって言ってるだろ。いいかげんその土下座やめろよ、みっともねえ」
 木の根元に体をあずけて、干し肉の塊をダガーでうすく切って口に運びながら、キッドが苦笑する。
 しばらくして落ち着きを取り戻したセルジュは、自分がしたことを自覚して、背すじが寒くなった。一歩間違えば、キッドに大怪我をさせていたかもしれない。
「でも、もしキッドがよけられていなかったら……そのときは……」
「はん。さっきも言ったが、オレがお前の攻撃なんて食らうわけねーんだよ」
 干し肉の欠片が先端に刺さったままのダガーを、セルジュの方に向けて振りながら茶化すように言う。
「それは確かにそうだけど……でも……」
 キッドが、セルジュの言葉を振り払うかのように、首を振りながら立ち上がる。
「あ〜、鬱陶しい!実際よけられたんだからいいじゃねーか。過ぎたことでぐちぐち悩んでんじゃねぇ。男だろ」
「……」
 キッドはくるりと背を向けると、するすると、さっきまでもたれていた木に登り始めた。その登り方のあまりのスムースさに、セルジュは思わず見とれてしまう。キッドの体にはまったく無駄というものがない。抜群の瞬発力を生み出す引き締まった筋肉が形作るラインは、彼女にネコ科の肉食獣を連想させる、野性的な美しさを与えている。
「ほら、いくぞ、セルジュ」
「え?……わわっ!」
 キッドが果実を一つもいで、投げてよこしたのだ。慌ててセルジュが、そのリンゴに似た実を受け止める。からくも顔面でキャッチする事態はさけられたが、そのあまりの慌てように、樹上のキッドが忍び笑いをもらす。
「食えよ。あんなに動いた後だ。腹が減ってないわけがねえ」
 そう促してからもう一つ実をもいで、それにかぶりつくキッド。セルジュも同じようにかぶりつく。
「しゃくり」
 程よい甘さの果汁が口の中いっぱいに広がって、渇ききった粘膜を潤す。そうしてはじめて、セルジュは自分の喉が渇いていたことに気づいた。さっきまではそれどころではなかったということだろう。
「ごくり」
 嚥下された果肉と果汁が、食道を通って胃に落ちる。そのとき。
「ぐう〜〜」
 あたりに、いやにはっきりと、セルジュの胃が喜ぶ音が響いた。キッドは、今度こそ我慢できずに吹き出していた。

パンと干し肉とチーズ。よほど腹が減っていたようで、セルジュはそれらを一気に平らげた。そして今は草の上に腰を下ろして、ぼんやりと海を眺めている。隣には木から下りてきたキッド。同じ様に海を見つめている。
 セルジュは先ほどの特訓を思い起こしていた。彼はキッドにまるで歯が立たなかった。どんなに頑張っても。しかし……彼女に勝てないのは、戦いの技量だけだろうか?いや、そうではない。彼は今や、自分の小ささを悟っていた。
 セルジュは隣にいるキッドの横顔に視線を移した。出会ってまだ二日目だが、セルジュはキッドに引っ張られてばかりだった。彼女は行動的で、大胆で、そして絶対の自信にあふれていた。
「16歳、か……信じられないな」
 思わず、口に出た。
「何がだよ?」
 ふり向いたキッドが、怪訝そうに聞く。
「あ、いや……。どうしてキッドはそんなに大人なんだろうなって思って……」
「へへん。何だお前、オレ様の大人の魅力に惚れちまったのか?」
 冗談めかしてポーズをとるキッド。
「いや、そういう意味じゃないんだけど……」
 苦笑するセルジュ。
「ちぇっ。じゃあなんだよ?」
「うん、何て言ったらいいのかな……」
 セルジュは言いたいことを整理し直すために、一呼吸おいてから続けた。
「僕はこれまで、自分はいつか漁師になるんだろうって思ってた。アルニ村の男はほとんどが、成人したら漁師になるんだ」
「だろーな」
「でも僕は、特別漁師になりたいわけでもない。ただ、他にとりたててやりたいことがあるわけでもなかったから」
「……ふむ」
「簡単な漁に連れて行ったもらったことなら、何度もあるよ。でもそれだけじゃ漁師とは言えない。『自分の力でライオンザメを倒してこそ、真の海の男だ』って、誰かが言ってたっけ」
「……ふ〜ん」
「僕はもう17歳だ。ライオンザメとだって、戦える年齢のはずなんだ。勇んで漁に出て行ったっていいのに。……漁ってものに、命をかけて戦うほどの意味を見出せなかったんだ。必死になれなかったんだよ」
「……」
「でも、他に必死になれるようなものもなくて……。結局僕は今まで、本気で何かをやろうとしたことがなかったんだ……今日、初めて分かったよ。僕は、どうしようもなく子供だったんだな……」
 そう言って、悲しそうに笑った。
「……贅沢な奴だな」
 ボソッとつぶやくキッド。
「え……?」
「いや……」
 キッドの言葉に多少の怒気がこもっているように聞こえるのは、気のせいではない。セルジュは少し躊躇したが、結局言葉を続けた。
「……キッドは今まで、どうやって生きてきたの?」
「どうやって、だって!?」
 キッドは突然立ち上がって、しぼり出すように言った。
「オレは……いつだって必死に生きてきた!お前みたいに無気力じゃいられなかった!毎日が戦いだった……!」
「キッド……?」
 セルジュの言葉は、予想以上にキッドの神経を逆なでしてしまったらしい。驚いて、キッドの顔を見上げる。そのとき、目が合った。キッドの青い瞳と。
(……!)
 彼女の瞳は、やり場のない怒りと、例えようのない悲しみと、どす黒い憎しみに渦を巻いていて……。しかしそのずっと奥に、どうしようもないさみしさと、不思議なやさしさが眠っていた。セルジュはこんなに深い瞳を、生まれて初めて見たと思った。彼女の瞳は、深い深い、海の色そのものだった。
「悪ぃ……熱くなっちまった」
 キッドはハッとして視線を外すと、右手で両目を覆った。一度、深呼吸をする。
「思い出しちまって、さ。色々と……。ああ、そうさ。色々あったんだ……」
 セルジュは驚きで体が動かなかった。彼女が16年間をどの様に生きて来たのか……それを、その瞳が何よりも雄弁に語っているような気がした。キッドはもう一度セルジュを真っ直ぐに見すえて、微笑む。
「でも、オレは生きなきゃ……。絶対、あきらめたりしねぇ。何があっても、な」
 セルジュは自分の心の中に新たな感情が湧き上がるのを、はっきりと感じていた。
 恋、とかそういったものとは違う。
 異性への、と言うよりもっと根本的な……憧れ。
 自分も彼女のようになりたいという願い。
 そんな、強い想いが。
「なに呆けてんだよ、変なヤツだな……」
 キッドがばつが悪そうに頭をかく。
「……まあいいや!セルジュ、そろそろ行こうぜ。テルミナに着く前に日が暮れちまう」
 明るく言って、さっさと丘を下りだすキッド。セルジュは決意を新たに立ち上がって、キッドの後を追った。
「……ねえ、キッド!僕はいつか絶対にキッドに勝って見せるからね!」
「へへ、上等だ!いつでも受けて立ってやるぜ!」

 未だ厳しさをゆるめぬ午後の太陽が、少年の新たな旅立ちを、鮮やかに照らし出した。


後書き
 いやはや、読んで下さってありがとうございます。ウミネコです。
 キッドの強さを表現できたらいいなーと思って書き始めたのですが、その目的へ至るまでの道があっちへ行ったりこっちへ行ったりで二転三転。まとめるのに苦労しました。かなりカットしたつもりなんですが、だらだらしていたらごめんなさい。
 キッドと対照的に、セルジュ君がずいぶんとなさけないヤツになってしまってますね。「セルジュはもっとかっこいいんだ〜!」と思われる方もおられることでしょう。ごめんなさい。でも私は、彼はキッドや仲間たちに助けられながら、だんだんと大きくなっていく人物だと思っております故。この話の段階での彼は、まだまだ「どこにでもいる少年」です。
 小説というものを書くのは初めての経験でした。正直言って皆さんがこの文章をどう受け止められるか、不安で堪らないのですが。この文章が少しでも皆さんの心に残れば幸いです。
 ありがとうございました!