Panic Playback


 やわらかに身体を包む温水の中、先ほどまで「ヤマネコ」と称されていた人物が浮かんでいた。「龍の涙」という人智を超越した宝はヤマネコの身体を完全に消滅へと追いやった。だがそれと同時に龍の涙は奪われた肉体である「セルジュ」を復活させようとしている。ヤマネコに存在していたセルジュの精神は少しづつ形成されていくセルジュの肉体に移っていったのである。死と再生の旅だ。
……。
 セルジュは自分の精神が再び移り変わるのを極力冷静に受け止めた。気分はとても穏やかだ。彼は覚えていないが今、龍の涙にて自分が成長する状況を子宮内の羊水に浸っているようなものと考えた。そう考えたほうがしっくりくる。矛盾は何もない。
……目、目を…ひらけるかな?
 ふと頭によぎったこの疑問を打ち消すべくセルジュはそっと目を開けた。
……海だ。
 目に飛び込んだ光景は海という表現がぴったりだ。青く、ただひたすら青く澄み切った空間。龍の涙から見える光景はこれくらいだ。まだぼんやりした目だが自身の手を見てみる。とても小さい。今のセルジュは生まれたての赤子となんら変わりはない。ヤマネコ時の記憶ははっきり残っている。龍の涙を中心とした宙に浮かぶドーム型のこの部屋のことだって覚えていた。視界がだんだん良くなってくるにつれ龍の涙からでも外の風景が見えてきた。生物の進化を辿った軌跡を描いた壁画。もはや見慣れたものだ。
……あ、そういえば…このまま身体が再生するのはいいとして…服…どうしよう?
 今になって気づいたがかなり重要な問題だ。部屋の外にはここまで一緒に付き添ってくれたスティーナと星の子がいる。こんな時に限って女性がいるのが辛い。星の子は問題外とあっさり切り捨てた。
……どうしよう…。
 ヤマネコの肉体が消滅した際に身に付けていた黒服も消滅したので間に合わせすらできない。セルジュ自身、ヤマネコの衣装を気に入っていたので更に気を落としてしまった。
……もうどうしようもない。潔くあきらめて裸で出るしか…ん!あれは!?
 その瞬間彼の目に入った物、それはセルジュの服だった。最初部屋に入ったときは気づかなかったが何故か部屋のかたすみに彼の服が置かれている。それも綺麗にたたまれた状態だった。
……どういうことだ?なんでここにボクの服が?確かあの位置は…!ボクの肉体を乗っ取ったヤマネコがキッドを刺した位置だ!
 少し前の話だがカーシュに聞いたところによると倒れたキッドを連れ去ってセルジュ(ヤマネコ)は宙に消えたそうだ。消えた位置は詳しく聞いていないがセルジュの頭には一つの仮定が浮かんだ。考えるのも馬鹿らしくなる仮定。
……まさかヤマネコは服を脱いでったのか!?
 バカバカしさはなかった。カーシュにはセルジュ(ヤマネコ)がちゃんと衣服を着ていたかどうかは聞いていない。というか聞く必要すらないことだ。いくらヤマネコといえど倒れた女の子を連れていくときに裸になんかなるもんかと思った。あの性格だがレディはレディなのだ。最低限のエチケットぐらい心得ているはずだ。
 再生途中の彼の頭には思考力も何もないらしい。何故ここにセルジュの衣服があるのかは謎だが大体からして今いる「古龍の砦」はキッドがさらわれた「古龍の砦」とは世界が違うという大きな大前提がある。しかし彼にはそこまで頭が回らなかった。
「ヤマネコが自分の肉体を乗っ取ってその後ご丁寧に衣服を脱ぎ、裸になったうえで刺されて気を失ったキッドを連れ去った」
 改めてそう考えたときから、彼はいままでにない怒りをもよおした。
……なんだって裸になる必要があるんだよ!?キッドは…キッドはあんな性格だが立派な女の子なんだぞ!おとなしくしてればどんなにいいだろうかって思うほど可愛いんだぞ!!ああッ!ヤマネコ!なんて事をッ!キッドに何か手を出してみろ!そのときは子孫末代まで永遠に呪ってやる!!!
 セルジュの頭にはこれらの台詞が無限ループしている。世界がどうなろうと知ったことではない。しかし!キッドに何かするのは許さない!いくら可愛いからって何かいやらしいことを仕出かした罪人には問答無用でシャイニングを喰らわせるだろう。
 もはや龍の涙の中にいるのは可愛い赤ん坊などではない。いるのは怒り狂った表情をした赤ん坊だ。
……ああ!キッド無事だろうか?頼む!無事であってくれ!あのヘンタイネコに(セルジュの肉体だが)何かされていないだろうか?唇を奪われたりしていないだろうか?最悪の場合、もしかして純潔を奪われてはいないだろうか?万が一そんなことがあればシャイニングに加えてスカイアローの刑だ。そのときは背後霊の怒りも頂点に達しているにちがいない。
 考えることは黒い。

「お前…こうも美しかったのか…どれ」

「な、な、な!何をする!こらセルジュ!やめろって!」

 キッドの滑らかな頬をわしづかみにしダークセルジュがその薄めの唇に手を出すのを想像してみる。
……殺す!むしろ呪ってやるッ!!
 普段のセルジュからは想像もつかない暴言の数々。そうこう考えているうちに数分が経過していた。
 肉体の再生が完了したようだ。龍の涙が割れセルジュの身体が勢いよく外に飛び出した。
「ップハァ〜〜!」
 大きく息を吐きそして大きく息を吸うことを数回繰り返す。湿った空気。口の中は瞬く間に水滴で満たされた。気分は爽快だが怒りのボルテージはむしろ上昇の一途を辿っている。自分の肉体が戻ったと喜ぶ暇もなく大急ぎで床に置かれた衣服を着た。何故衣服がこんなところにあるかという疑問はすっかり忘却の彼方だ。もう一人のセルジュが脱いでいったといまだに信じて疑っていない。衣服を着込んだセルジュは部屋を出ようと重い扉に手を出した。ギギギ…と音をたて扉は開かれた。
「やりましたね、セルジュ。よくぞ自分を取り戻しました」
 セルジュが姿を見せるタイミングを見計らいスティーナが言った。
「オヤ?セルジュ、ソノ服ハドウシタノカ?」
 体より大きめの頭で逆立ちをしながら星の子が言った。それにしてもかなりグラグラ揺れてはいるがちゃんとバランスがとれているのが不思議でならない。これが異星人の科学の結晶?なのだろうか。
……それを聞 く な あ 〜〜〜ッ!!!
 心の中で思いっきりセルジュは叫んだ。実際に叫びたい欲求に駆られたが奥手なセルジュにはそれはできない。典型的なストレス蓄積人間だ。叫べない代わりにセルジュは空に向かってつぶやいた。願わしくばキッドに届くことを祈りながら。
「待っててキッド。絶対に君を助け出してみせる!」
 はたから聞けばさわやかな台詞だが頭の中は相変わらずキッドの純潔が心配だ。
 大きな勘違いと共にセルジュは先を急ごうと仲間を急かした。キッドを、キッドの唇を、キッドの純潔を、ヘンタイヤマネコのセクハラから救い出すために。
 彼ははやる気持ちを抑えて神の庭へと向かう。ただひたすらキッドのことを思いながら…。



あとがき
馬鹿はごもっともです。むしろいいかげんこんなのを授業中に書くな!っちゅーことです(笑)。前半真面目に書いときながら途中からはセルジュが壊れました。しかしこれはまぎれもなく確信犯。
「ヤマネコドリーム」読んでたらむしょうに書きたくなったんです〜(泣)。